【人間性の剥奪】
子供には、決して質問をしてはならない。
特に、ものの仕組みや構造などの、抽象的な話を引き出してはならない。
「なぜ?」という無価値な問いを、子供から徹底的に剥奪することが肝心だ。
子供の視点を下げ、視野狭窄に陥れ、好奇心の欠如した下等生物に堕とすのだ。
目の前の刹那的な快楽に飢えた獣畜と同等の存在になるよう全身全霊で導くのである(?)
間違っても、社会通念や文化を疑うことを一度でも智覚させてはならない。
大多数の人が持つ「固定概念」や「ルール」は、神仏からの至上命令であり、諸手を挙げて迎合しなければならない。
徹底的に「常識に依拠する」ことこそが、人間の「生きる道」であるという崇高な思想を骨の髄まで刻むのだ。
そうして人間性を削ぎ落とした「肉の塊」のごとき存在にも、悲しきことに一抹の「個性」が残存してしていることだろう。
しかし、まったく問題はない。
完全に「共同体の色調における保護色」としての使命を全うするよう、徹底的に調教を施せば良い。
たとえ子供が、反動形成で自分の中に特殊性を見出しはじめたとしても、徹底的に大衆と同質であることを刷り込み、心から善導するのだ。
あとは、子供に任せればいい。
しばらくすれば、多くの子供は完全に"生き物を辞めているだろう。"
「ねじ巻きの傀儡」として、円熟の境地に達していることだろう。
我が子を、考えることから解放してあげることこそが、真の親の務めである。
生まれてきてくれただけで充分だ。
もう楽にしてあげよう。
【心を閉ざす】
ネガティブな感情で縛り付けるようなアプローチをしよう。
否定的なダブルバインドで隷属させるのもいいだろう。
徹底的に無力感を植え付け、自分の殻に閉じ込もらせるのだ。
誰にも心を開かないまま死んでいくことは非常に美しいことだ。
命の灯火が消える瞬間まで、「生きた証」を残さずに済むのだから。
【テレビ】
徹底的にテレビを視聴させよう。
テレビ番組を制作している主導層には、崇高なる人格者がひしめいている。
国民を正しい方向へ導くため、まったく嘘をつかずに、誠実に視聴者と向き合っている。
テレビは、「洗脳」という言葉がこの世で最も似合わない装置だ。
絶対的な信頼を置いていいと思う。
テレビを観ればすべてが上手くいくだろう。
【毒親の診断】
ここまで読んで、心に激痛を覚えた人は、いたって正常な品性の持ち主だ。
逆に、他人事だと思った人、何も感じなかった人、ここまで懇切丁寧に説明しているにも関わらず、自分の何が悪いのかを僅かばかりも把握しない人こそ、正真正銘の毒親気質だ!!
もう手遅れである。
【善意の毒親】
「子供を大切に思っている親=まともな親」なのだろうか。
世の中には、子供を思う気持ちが裏目に出て、子供に多大な害悪を与える親もいる。
世の中には「善意=正しい」という固定概念が蔓延している。
本人に悪意がないため自覚症状がなく、ある意味では子供に無関心な究極の毒親より性質が悪い。
原因は、親の想像力と自己観察眼の欠如だ。
死ぬまで治らない。
【親は変わらない】
毒親育ちの人の多くは、親を変えようと努力してしまう。
必死に向き合い、語りかけ、害悪性を自覚させ、自己反省を促そうとするのだ。
当然だが、すべて徒労に終わってしまう。
そもそも聞き入れる柔軟性のある親なら、最初から毒親になどなっていないだろう!
毒親は、自己観察眼が完全に欠如し、自分の言動の波及効果を想像できない愚昧な存在であるゆえ、何を言われても自分の害悪性に気づくことができない。
親に訴えかける子供側も、無駄なことをしていることは骨の髄まで理解している。だからといって自分を変えられるほどの情緒は発達しておらず、問題解決能力も足りないのだ。(その時点では)
だから最後まで、自分をさんざん苦しめた相手に頼ってしまうのである(?)
毒親から抜け出すためには、建設的に動き続け、問題解決能力を高め、自己犠牲による激痛の中で、心から成長していくしかない。
それこそが、毒親育ちの人が本当の意味で強く生きていく道だ。
親を見限り、真の自立をするのだ。
茨の道だろう。
しかし、(毒)親は乗り越えるためにある。