殺人とは、「同化しようにも同化できない」という現象の一形態である。
大哲学者エマニュエル・レヴィナスは、「意味付与される意識対象は、同化されたもの」と見なし、「同」という主要概念を打ち出した。
「同」は、他者を同化する力である。しかし、「他者」とは絶対的に「他」である。故に、所有としての「同」が結実することはない。
彼の「同」は、「自我」「意識」「理性」を、理解の枠組みの中に回収する「自己主体のあり方」それ自体を指し、その範囲は、「私の働きが加わる全て」を示す。
ゆえに「同」は、行為主体としての発想であり、受動性の「客体」とは対極をなす。故に、「狩る主体と、狩られる客体」という二項対立において、必然的に、狩る者としての思想が「同」と暴力的な関係を結ぶ。
この発想は、サイコパス(先天的な反社会性パーソナリティ障害)の実態と、奇妙な形で通底する。彼らは、「周囲の他者が全て敵に見える」という思想を持ち、「搾取される前に、自分から搾取しなくてはならない」という攻撃性を内本質的に備えている。
ゆえに、そのような主体にとって他者とは、単に理解される対象ではなく、「制圧されるべき対象」として立ち現れる。
「敵を制圧する」という発想は、必然的に、「所有欲」と結びつく。それは、敵の存在に、意味を付与して掌握したいという衝動である。
故に、「ある対象」に意味を付与する営みは、能動的な行為主体によって作用する。その主体が、「意味を付与する限り」において、その対象となる客体は、「私物化されたもの」としての様相を帯びる。
故に、サイコパスの所有欲は、敵に見える他者を、「自分の理解可能で安全な所有物へ還元したい」という傾向性と、一体不可分である。
実際、サイコパスは、他者をゲームのNPCのように、オブジェクト化して認識する傾向性を持つ。それは、単なる他者への興味関心の欠如というより、敵を安全な形で処理しようとする認識フレーム故の思考様式であろう。
そして、彼らがもつ、その所有欲は、「視線」によって増強され、明確な像を結ぶ。彼らは、折りに触れて「他者の顔を凝視」する。相手に失礼な場面でも、穴が開くほど見つめる傾向を持つ。
レヴィナスは、「顔が課す要求を鎮めたい」という充足せず増大していく願望は、行き付く果てには、「殺人願望」に帰結すると述べている。本稿でいうところの「顔の課す要求」は、「喰らうべに他者の存在感」だと解釈される。
殺人の「願望」は、他者の「顔貌」を、自分の内的宇宙内で滅却したいという願望であり、殺人衝動と通底するものだ。
「同化しようにもできない他者は厄介だ。顔の要求を鎮めるという切望を充すためには、もはやこの世から葬り去るしかない。」
そして、本能が理性を超え、獣と化したサイコパスは、殺人を犯す。しかし、抑制機能の強さ故に生き残るサイコパスは、この世に潜み、他者の日常をしたたかに、侵食する。
サイコパスは、他人への共感・興味関心は基本的に希薄である。ゆえに、彼から映じる他者は、敵であると同時に利用可能なオブジェクトである。
彼にとって他者とは..........意のままに操作し、安全形へ還元し、快適に生存するための生贄である。