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2026-01-01から1年間の記事一覧

なぜ、「イキってる人」の方がカッコいいのか?

「イキる」とは、かっこいい自分を前景化させることを、あえて優先する行為である。 当然そこには、「ダサい」と評価される危険が伴う。自分を実際以上に大きく見せようとすれば、その演出そのものを見透かされ、 「必死だ」 「痛々しい」 「イキっている」 …

読書するだけでは、「好奇心」は伸びず、自分の頭で考えていることにもならない。

読書そのものは、思考の能動性を保証しない。むしろ、多くの人は、他人の理路を受け身でなぞるだけで、「思考した気」に陥っている。当然、私も他人事ではない。 かつて、心理学者ウィリアム・ジェームズは、「”思考とは何かという問い”」の急所を貫く、見事…

ビックファイブ

ビッグファイブ・コアステータス(120点満点) 1. 経験への開放性:87 / 120(高い)知的なアイデアの操作や豊かなファンタジー、芸術を愛する反面、日常のルーティンを壊すような変化は好まない知性派です。知性:19 (高い)想像力:17 (高い)芸術的興…

なぜ、ネット民は、「否定したがる人」しかいないのか?

インターネットは、「否定する文化」こそが主流である。 そこでは、ユーザーの「個」は、希薄化され、魅力を失う。恒常的に「匿名性の魔力」が渦巻いているからだ。「非現実の他者」という解釈のレンズが通過することで、正常な「個」としての価値は踏み鳴ら…

なぜ、映画で泣くのか。

「泣ける映画」というフレーズに、違和感を禁じ得ない。自分事して悲しみに直面する主体でれば、「泣くための映画」という全体は成立しない。人は他人事であれ、不幸に直面すれば、感情を対処する認知スタイルに切り替わる。それならば、人の感情を味わう余…

顔を見つめることは、殺人的である。

殺人とは、「同化しようにも同化できない」という現象の一形態である。 大哲学者エマニュエル・レヴィナスは、「意味付与される意識対象は、同化されたもの」と見なし、「同」という主要概念を打ち出した。 「同」は、他者を同化する力である。しかし、「他…

真理とは、言葉にできないことを言葉にすることである。

大詩人ゲーテは、格言を残している。 「理解していないものは、所有しているとは言えない。」 (ゲーテ格言集 新潮文庫) ここでいう理解とは、ある対象を内的形成へと再配置することで成る、と解釈する。では、内的精神は、いかにして各個人の資産となり得…

一番つまらない集団の特徴。

愚問とは何か。相手の「個を無効化するために設計された」全ての質問である。会話とは、相互の個の世界を断片的に引き出して、共有する営みである。ゆえに、個を削ぐ質問は、会話を活性を低下する方向へと、断続なく作用し続ける。流動性を欠く会話を望むも…

なぜ、女は「女優」なのか?

演技とは、主体的に客体化を試みる行為である。 女は、受動の性であり、求められるところの性である。女が主体的に男を操ろうとする場面でも、主体性に先立って客対性として魅力を発揮する。 仮に、女が主体的に関係を主導しようとしても、一貫した主体性は…

なぜ、語りは、成果を殺すのか?

人間は、「語り」への衝動に甘んるほど、成果と呼びうるものは結晶化されない。 本稿における「語り」とは、成果物の作成に先行することなく、外部からの承認を仮初の目的として放出される言語活動を指す。すなわちそれは、制作に付随する副次行為とは異なり…

1を聞いて10を知ること。

洞察という言葉は、ある現象を眺め、別の解釈を付与する行為であり、その内部に推論を含んでいる。すなわち、ある事物から受ける感覚印象を、同じ根をもつ別の印象へと結びつけて解釈する知的営為である。 それは、情報の背景を知識として格納するために、欠…

「無知の知」をどう解釈すれば、無知ではないと言えるのか?

哲学者コンディアックは、至言を吐いている。 「人は、無知であるほどに、判断したい欲望を抑えられないものである。」(論理学ー考える技術の初歩ー) この一節は、意見すれば控えめな観察に過ぎない。しかし、その内実は、ソクラテスの「無知の知」に深く…

我々は、「肉体」を人質に取られている

大哲学者ショーペンハウアー曰く、世界の本質は「生きんとする盲目的な意志」と、その「表象」である。この意志は、究極的な目的を欠いた無限の努力であり、「あらゆる存在はその意志の客観化」に過ぎない。 我々が認識する世界は「表象」であり、それはこの…

格闘ゲームが「楽しい」は、半分”ウソ”である。

格闘ゲームとは、「楽しさ」と「苦しみ」が混然一体であるという、「固有の原理」に貫かれた、際立った異質性を放つゲームジャンルである。 コンボが決まった瞬間。勝ち星を上げた瞬間。成長を実感した瞬間。 別種のゲームであれば、局所的成功においても、…

エレン・イェーガーは悪人なのか?

エレン・イェーガーは悪人なのか。 この問いは、「地鳴らし」の実行犯という観点により、自明に解答される。すなわち、「大量虐殺を実行した主体は悪である」、という極めて常識的な判決である。 しかし、「悪人とは何か」なる問いを掘り進めるならば、この…

なぜ、真面目な人ほど、ふざけ散らしてしまうのか?

葬式で悲しいのに笑う、という人は実在する。通常であれば、「悲痛と涙」という感情と行動のパッケージは連動している。 だがしかし、悲しみを紛らわすために、涙ではなく笑いが発露する逆転現象は、現実的に発生する。受け入れがたい極度の緊張を伴う苦痛に…

自分を、漫画・アニメの主人公にすると、苦しみはエンタメになる。

ユーモアは幾つかの類型に分類される。そのうちの一つに、自己高揚的ユーモアがある。この様態においては、笑いは単なる情動結果ではなく、情動を生み出す働きを担うものとして位置づけられる。 一般に、人間が笑うのは「楽しいからである」。しかしながら、…

なぜ、面白い人は、他人を見下しているのか?

哲学史の系譜において、人間は、笑う側が他者を下位に位置づけ、自己の優越を確認するものとして説明がされる。 その意見は、古典的な笑い三代理論の一つ、「優越説」によって補強される。「ある人物への評価が、自己評価を安定させる素材として機能するとき…

格言をありがたがる人は、なぜ誤るのか?

「上智は教えられず、下愚は映らず。」 論語の格言だ。 しばしば一般の場合、次のように理解される。 賢明な者は自ら悟るゆえに他者の教えを必要とせず、反対に愚かな者は、いかなる教えを受けようとも理解に到達し得ない。 一見、鋭利な格言だが、この鋭さ…

誤解されすぎている哲学者。「理性は感情に流されないこと」という風潮はおかしい!

ショーペンハウエルは主著『意思と表象としての世界Ⅰ』において、カント倫理に対し明確な異議を呈している。 「カントはいささかの傾向性も一時的な感情の興奮をも伴わない純粋委に理性的かつ抽象的格率から行為が行われることを、道徳的な価値を行為がもつ…

日本人の「謙虚さ」は、「ノリの悪さ」と表裏一体

日本人は、「包まれているもの」を好む傾向がある。 お年玉のポチ袋、祝儀・香典袋、文化の象徴たる風呂敷。和菓子の多重包装や、お歳暮・お中元の過剰なまでののし紙、弁当を布で包む習慣。 時代を遡れば、平安時代の十二単(じゅうにひとえ〕などもそうだ…

格言を読めば、「教祖」になる。これからの時代は「解釈を加える人」が活躍する。

名言を読む。そして、じっくりと名言集を読む。すると、言葉の鮮度が蘇る。格言という形式は、読むたびに解釈を更新させる言語装置である。同一の言葉を反復しているはずなのに、そこには毎回、初読に近い新鮮な読感が立ち上がる。 言葉は固定された意味内容…

偏見を観察する眼。。。書く習慣が、正確な自己観察を形作る。

日々考えたことを、紙のノートに書き出してみる。升目を一切設けず、白紙の空間を任意の言葉で埋めていく。理解できるのは、自分だけでよい。そこに並ぶ語彙群は、思考の原液から一歩進んだ半アウトプットであり、自己完結的な書き出しによってのみ生じる、…

「死」を超克する絶望の美学。。。。「意思と表象としての世界」を読んで、禁欲に対する見方と、死が最も恐ろしいという価値観が揺らいだ。

大いなる自然の側から見れば、個体とは意志の一時的な担い手にすぎない。そこに宿る固有の価値は人間視点では尊いが、自然視点での重要性は低い。 価値があるのはあくまで「意志の持続」である。 著者のショーペンハウアーが述べたように、世界の本質は「生…

物の可能性の開かれ方について。

一つの物には、あらかじめその物が取りうる未来の姿の候補が、静かに折り畳まれている。 この直観そのものは、ウィトゲンシュタインとギブソンを遠く隔てながら、どこかで接続している。両者はともに、「物は無限定に何にでもなれるわけではない」という点で…

本音が渦巻く社会は理想郷なのか?

人間が本音を吐露しやすい環境とは、どのようなものだろうか。 一概には言えないが、少なくともそれは、自分が不利にならない場所であり、心身が弛緩し、責任の影が遠のいたことで、警戒心を解くことのできる安全空間である。 とりわけ心の脆い弱者ほど、真…

アイディアノートの書き方と、その意味。

人間がインプットとアウトプットを反復・往還することで、効率よく学習を深めていけるということは、もはや疑いようのない事実である。情報が洪水のように押し寄せる現代において、この原理はすでに自明の理といってよいだろう。 インプットとは何か。そのこ…

孤独は人を魅力的にするのか?

フリートークにおいて最も重要なことは、何を話すかではない。話し始めることである。 内容の質など、最初から気にする必要はない。言葉とは、完成してから発せられるものではなく、発せられながら形を持つものだからだ。思いついた言葉を、ためらわず投げる…

モノへのこだわりは、孤独を癒す。

人は孤独を、人によって癒すものだと信じている。だがこの通念は、半分しか真実ではない。人間関係は、しばしば孤独を埋めるどころか、むしろそれを増幅させる。人は他者の中で満たされると同時に、他者の中で消耗する存在だからである。 この点を考えるとき…

ネットの「イジメ」は、致命的な欠陥で助長されている。

ネット社会は、いつの間にか、最も無防備に「善意らしい形のイジメ」を受ける場になった。 人間の複雑さが、その複雑さのまま受け止められ、文脈・関係性・時間的蓄積を含めて扱われる空間は、もはや例外的にしか存在しない。 たとえば、文脈や関係性を前提…