『差別』を根絶する方法。全人類の《抽象度》の底上げ

大衆の判断は、抽象的に説明されたときに間違う。

マキャヴェリ

【大衆と抽象化】

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"大衆"とは、

「抽象的=理解不能="悪"」

 

という固定概念(ステレオタイプ)を元に、「悪と判断した個体」を共同体から躊躇なく排斥する腐れ外道の集産体である。

 

人は、自分が理解できない対象を間違っているものと捉える傾向がある。

これは、避けようがない現象であり、差別の元となる原因のひとつだろう。

 

しかし、深い自省を重ね、自分の価値観を疑って訂正し続ける人も存在する。

 

理解できない自分に問題があるのか、その対象に問題があるのかを突き詰めることができる。

 

情報が足りていない段階で、悪と決めつけていいのか自問自答を繰り返し、理解を深めることを諦めない「強き心」を持っている。

 

「思考の抽象度」の高さと、それに伴う高い精神力があるからこそ可能である。

 

「抽象化思考」ができると言い換えても良い。

 

「抽象化思考」とは、

 

様々なものから共通点を抽出することで、

 

  • 視点が高くなり、
  • 抽象概念に意識が置かれ、
  • 視野が広くなることで、
     

物事の全体像を把握し、問題を解決する方向へ導く思考法である。

 

具体例で解説する。

 

イメージしてみてほしい。

 

あなたは、LINEメッセージを複数人に送信しようとしている。

全員グループLINEに入っている。

 

この場合、

 

個人アカウントは、具象概念であり、

 

グループLINEは、抽象概念である。

 

具象概念とは、具体的なもののことだ。

 

抽象概念とは、さまざまな具体的なものから共通点を抜き出し、一つの集合体として一般化されたもののことだ。

 

個人アカウントという具体的なものを包摂した集合体的な存在がグループLINEである。

 

あなたは、効率よく目的を達成するために、それぞれの個人アカウントではなく、グループLINEにメッセージを送信した。

 

このように、抽象概念に対してアプローチをかけることで、問題は効率よく解決する。

 

全人類が、思考の抽象度を上げ、より高い抽象概念に意識を置けるようになれば、何の問題もない。

 

【差別のメカニズム】

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前述を踏まえたうえで、差別のメカニズムを詳しく解説する。

 

まず、具体的なものほど、特殊性があり、オンリーワンに近くなる。

 

抽象的なものほど一般化されていき、様々な具象概念を同一のものとして扱うことになる。

 

このことから、

 

  • 抽象概念に意識を置く人=複数のものを同一として視る
  • 具象概念に意識を置く人=複数のものをオンリーワンとして視る

 

という傾向が読み取れる。

 

ここで注意点がある。

 

すべての人は、抽象概念と具象概念を往還(往復)しながら生きているということだ。

 

つまり、抽象概念に意識が置かれている瞬間と、具象概念に意識が置かれている瞬間がある。

 

また、人間は、複数の概念に同時に意識を置くことができ、その情報が同時多発的に脳内を駆け回っている。(無意識下で)

 

そして、抽象概念と具象概念の判断は、「相対的に」変わる。

 

前述した「グループLINEの例」では、"グループLINE"は、"個人アカウント"から視れば抽象概念である、ということだ。

 

"LINE"から視れば、"グループLINE"すらも、具象概念になるということである。

 

また、具象概念に意識が置かれることは、特殊な事物を理解したうえで尊重する上で極めて重要なのことだ。

 

もし、抽象度の高い概念にのみ意識を置いて生きている人がいるのであれば、特殊性のある個人に意識が向かなくなるだろう。

 

反対に、視野が狭くなり、抽象度の低い概念にのみ意識を置く瞬間が増えることで、目の前の共同体の問題から波及する極めて悪質な問題が発生する危険性を孕んでいる。

 

世の中では、思考の抽象度が下がると差別問題が発生するという考え方があるが、これを法則的に紐解くと前述のようになると思う。

 

「具象概念」と「高い抽象概念」を高速で往還する力をすべての人が養うことによって、分かり合えるようになるのだろう。

 

「高次元の具象抽象の旅」こそが世界平和への道と言っても過言ではない。

 

【理解への道。会話の歯車】

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思考の抽象度の高さの限界には個人差がある。

 

そして、極めて重要なことが一点。

 

抽象の世界からは、具象の世界は視えており、具象の世界からは、抽象は見えていないということだ。

 

自分が見えていない抽象概念の"世界"の話は、だれも理解できないのだ。

 

人は、自分が見てきた世界の類推でしか、目の前の世界を受け入れることができない。

 

相手が、自分の限界抽象度の上の世界の言動をしている場合、さっぱり訳がわからないだろう。

 

また、人間は自分にできることは、他の人も当然できるだろうと考える傾向がある。

 

そのため、「こんな簡単なことを、なぜ彼らは理解してくれないのだろうか?」という疑問を「思考の抽象度が高い側」が、強く感じていることが多い。

 

思考の抽象度が高い側の人が、相手の抽象度の限界を直感で見極め、それに当意即妙に合わせることができなければ、表面的な会話すら成り立つことはない。

 

しかし、たとえ、工夫して表面的な会話を円滑に進めたからといって、抽象度の高い側が「溜まってしまう」ことは避けられないだろう。

 

【言葉の定義のズレ】

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また、ここで、注意点がある。

 

それは、言葉の定義が他人と違うことによる、コミュニケーションのズレが起こりうるということだ。

 

たとえば、「先生」と「教師」では、どちらの方が抽象度が高いだろうか?

 

一般的には「先生」が正解だ。

 

「先生」は、ものを教える人全般や、先に生まれた人を指すため、多くの事物を包摂している。

 

逆に、「教師」は、主に学校でものを教える人という限定的な表現になっている。

 

相手が、ものを教える人のことを「教師」という単語で解釈しているのであれば、その人に合わせて教師という言葉を使えばいい。

 

「例外」として、自閉症状のある「すべての人」は、言葉の定義が一般的でないことがある。

 

その人が、他の定義で解釈しているなら、臨機応変に言葉を操ればいい。

 

関係の中で見極めていくしかないだろう。

 

前述のように、一般的に同じような意味の言葉でも使う人によって定義が異なるのだ。

 

汎用性の高い抽象的な単語を乱用するのではなく、相手用にカスタマイズした言葉選びを配慮することで、コミュケーションは円滑に進むだろう。

 

そして、理解が進むのだ。

 

【最後に】

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この記事の内容を理解し、すべての人が思考の抽象度を上げれば、情報不足による「誤解と差別」は根絶されることだろう。

 

情報化が進んでいる現代。

 

分かり合える日は遠くないはずだ。