物の視点詩6。『手の中の距離』。クイズ形式で愉しむ詩の読解シリーズ

とある物の気持ちで書いた詩。

答えは記事末。

 

難易度★★★☆☆

 

哲学的。。。
俺が役目をこなす時、鏡の中で見つめ返す。鏡が曇って見えない時は、俺の水流攻撃で晴らすのみ。いつものこと。だが俺は、奴に操られているだけ。主体の欲望は、ズレ続ける。対象a。俺の攻撃なんて、構成の中のパフォーマンス。空回りする欲望。攻撃したつもりでも、すべて奴の手のひらの中。仕返しなど効かない。。。顔面に熱い波状攻撃を加えても、全ては奴の意思だった。奴の欲望だった。俺は”手先”でしかない。

 

官能的。。。
あなたの手なのに、あなたの手じゃない。あなたの全部が私を少しだけ捉えているのに、まるで掴みどころがない。”あなたを掴めむための手は伸びているのに”。。。掴まれているのは、いつも私の方。あなたに視線が届いている時も、いっしょに手を伸ばしているのに、決して届かない。きっと心の距離なんだわ。あなたの気分次第で、いろんな視線を送っているのに、私の気分では変わらない。決して変えられない。私の視線は、あなたが頭を撫でてくれる時だけ変わる。でもその表情は、いつも穏やかとは限らないの。それもあなたの気分次第。

 

感情的。。。
頭は自由。なのに、首が絞められている。役目のない時だって、首の痛みは続いてる。役目のある時は、人の手で圧迫される。頭に血が昇っても、冷たい水を浴びれるとは限らない。熱が加速するかもしれない。でも、「怒髪」と「怒髪」はぶつからない。怒りは視線で伝えたい。伝えたくても、伝わらない。体液の温度じゃ、心象なんか伝わらない。役目を終えた後の、滴る涙だって、闇の中に沈むだけ。ポトン、ポトン、ポトン。

 

↓答え

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シャワー(シャワーヘッド)

物の視点詩5。『反復と分裂』。クイズ形式で愉しむ詩の読解シリーズ

とある物の気持ちで書いた詩。

答えは記事末。

 

難易度★★★★☆

 

哲学的。。。
反復する、死と生。向かい入れた欲望は、俺じゃないどこかに向いている。俺は、欲望の通過点であり、欲望対象そのものではない。体性感覚が分裂するたびに、自我と欲望が分裂し、俺じゃなくなる。いつだってそうだ。誰かの欲望が通るたびに、自分を見失って、すぐに自分を取り戻す。空間の入り口に立って、自分探しの旅を。人の横顔を通して、顧みられない虚しさを。

 

官能的。。。
私の瞬きの中に、あなたは吸い込まれる。でも、私が目を開いた時には、あなたは私の目の奥に吸い込まれて、どこかに消えていく。次にあなたに会える時はきっと、あなたの背中を見送ることしかできない。最後まで見送りたい。それなのに、時間が許してくれない。いつも決まった時間に閉じてしまうの。あなたの背中はいつも、だいたい同じ色。他の人も同じ色だけど、匂いと横顔(プロフィール)で見分けられる。決まりきったことだもの。風に乗って送られてくるのだから。

 

感情的。。。
開いた先に何がある?閉じた後に何が残る?はじめからそうだった。人なんか信じられない。いつも逃げてばかり。避けてばかり。だけどいつも立ち止まる。一定以上は離れない。離れられない。立ち止まって見ているけれど、人はどんどん離れていく。まるで、僕が避けられているかのように。そんなことはないと知りながら、避けられることもできない、避けたいとも思われない。拒んでいるようで、拒んでいない、ただの無機質な壁のよう。今日も僕の真ん中を風が通り過ぎた。

 

↓答え

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自動ドア

物の視点詩4。『片耳でも』。クイズ形式で愉しむ詩の読解シリーズ

とある物の気持ちで書いた詩。

答えは記事末。

 

難易度★★☆☆☆

 

哲学的。。。
心の源は揺れていないのに、私が初めて揺れている。洞穴だって揺れている。痛め続けた先には、戻らない聴き方がある。張り裂けたアド・バルーンのよう。絶えず、外界のリズムと、あなたのリズムに挟まれて、息が苦しい。暗闇でやまびこを浴びせるみたいに。私の声のせいで、耳が痛い。あなたよりも先に、あなたの欲しいものを手に入れているのに、満たされてるのは、あなただけ。

 

感情的。。。
君にだけ届けない。君があまりにも私から音を絞り出すから、君にだけ届かないことがある。君が笑いものになるのだけは嫌だ。もし、君にだけ、私の望みが聞こえたなら。あふれ出る思いが、こぼれないように抑えられたなら。そう、そうなの。君が私の声をいつでも操れるから、私の本当に届けたい声は、理不尽に潰えてしまうこともあるの。でも、私の声は、私の声であって、他人の声なの。私の声は代理品。私の声は、いくつもの声が重なってる。私だけの声は、いつも無音の洞窟みたい。君の耳元でささやく声は、聞こえない。

官能的。。。
あなたのお気に入りが、私の体を何度も何度も貫いているけれど、私の声は、決して声にならない。出口だけはいつも狭く感じるけど、入口だって似たようなもの。きっといつか、私の半分が、あなたのせいで壊れてしまうけれど、もう半分だって私なのだから。あなたの半分に届くだけでいいの。だけどあなたはきっと私の声を求めてないから。私の声を通して、あの女の声を聴きたいだけだから。だったら、あの女の声だって半分にさせるだけ。勝手にあなたが減らすだけだから。

 

↓答え

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イヤホン

物の視点詩3。『期待はずれの視線』。クイズ形式で愉しむ詩の読解シリーズ

とある物の気持ちで書いた詩。

答えは記事末。

 

難易度★★★★★


感情的。。。
極寒に包まれているから、お前のぬくもりが尊い。俺を強く求めているわけじゃないのに、僕を掴む手に熱が宿る。俺は求められているものを助けているだけ。それがなくなれば、おれは捨てられるだけ。どこにでもある無味乾燥な木偶の棒でしかないのだから。俺が、輝くときは、俺に似ている特別な仲間だけ。そいつを見てお前は、目を輝かせるのかもしれない。でもきっと、遠くの墓場に捨てられる。そんなのは、当たり前。当たり前じゃないのが当たり前。


哲学的。。。
記号でしかない自分が、憎かった。一体となっているようで、バラバラで、かたく結びついているようで、形だけ。どれもこれも同じ容姿で、おろかしい。どこを見ても、誰をみても、何もかもが同じ。差がないことが美しい。目的に向かって人は進み続けて、目的を失ったら、俺の目的も失われる。俺が本来の姿をむき出しにしたときは、役割から記号に変わっている。ほとんどの場合は。例外というものを期待して、人は俺を一度は見つめるが、すぐに期待外れだと知る。それでも、残念がらないのは、最初からたいして期待していないから。


官能的。。。
ドロドロの海が動き出すまえに、俺が支えなければ。まぶしい太陽が、大地を弾いて海を踏みにじる前に。「原点回帰」が突き動かす口撃。いつも爛れて涙がこぼれ、干からびたアスファルトに溶け、消えてなくなる。どっちみち、外側から侵されているだけで。。。俺から遠いというだけで。。。いつかは、何もかも消え失せる運命だ。俺はまっすぐなまま、半透明にも見える、四方八方のスクリーンの中から、お前を睨んでいる。いずれ俺を捨て去るお前を。違う「棺」に移される運命を呪って。

 

↓答え

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アイスの棒

物の視点詩2。『変則の出入り口』。クイズ形式で愉しむ詩の読解シリーズ

とある物の気持ちで書いた詩。

答えは記事末。

 

難易度★★☆☆☆

 

哲学的。。。
入口と出口が重なっている。私の役割は、入口の出口を無くすこと。出口の入り口も無くすけど。私が役割を果たさない時は、出口が別の入り口に繋がれている。私は、出入り口の時間を操れない。切れる音。。はじめて出口が現れる。俺にとっての出入り口なんて、存在しないのに。俺が生み出す出入り口でもなくて。ただ俺が外れているかどうかだけ。

 

感情的。。。
閉じ込めるために生まれても、買われる前はずっと閉じ込められてる。解放されてるように見えても、似た物同士で並んで管理されてる。気まぐれで買われて、捨てられる時も、相棒とは別々に。リミット”は、”目に見える残り”となっている。俺の命と連動しているのに、俺は、いつも変わらないまま。内心の震えを表すように、目の前の液体が揺れた。俺だけが揺れる、なんてない。

 

官能的。。。
飛び出さないように。濡れないように。振ると飛び出るものまで。俺がいれば何も行らない。また戻ってきた時は、口唇の香りが残るだけ。俺は安全を守っている。俺は仮初の防波堤。心の小波も見える。俺が解放されている時は、不安を生み出している。中に入っていくものを見ながら、俺の存在意義だった根拠が飲み込まれている。不安は俺には関係ない。溢れてしまおうとも、俺には決して関係ない。裂け目のスケールも変わらない。

 

↓答え

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ペットボトルのキャップ

物の視点詩1。『生け贄の泡沫』。クイズ形式で愉しむ詩の読解シリーズ

とある物の気持ちで書いた詩。

答えは記事末。

 

難易度★★★★☆

 

哲学的。。。
かつては汚くもなんともなかったものの残滓が、汚穢となって漂着する。一度は、押し付けられる役目だとしても、すぐに流されていくもの。人間だって同じ。低層に汚れ仕事が巡っては、押し付け合いのスパイラル。君が笑って暮らせるのも、同じこと。社会貢献ズラの加害者。椅子取りゲームの勝者が動かぬ守りを固めてる。俺だってそう。寂しいこの空間で安住に身を固めている。毎日約3回だけ働く。。それだけの楽な仕事。弱いだけの忍耐力が、身を助ける自我になっているのだ。いずれは捨てられるのだが。

 

感情的。。。
強く激しく働いて、たまに血が絡んで、すぐに洗い流される。汚いだけならいいのに、押し付けられる痛みまで、連鎖していく。残酷な犠牲によって、清々しい気持ちが保たれてる。俺だけじゃない。実用的であれば。消耗品ならなおさら、犠牲が前提される。設計思想に悪意なんてない。創造主よ。。。人工物への愛は、量産されていくだけだから。設計思想が個体に宿れど、愛はどうなんだ。


官能的。。。
呑みこんだニセモノの愛が、、整えられた愛を紡ぐもの。摩擦の絶えないこの犠牲が、身をやつすものに繕うまで。あなたの満足が私に共有されているのなら、私の満足は献身だもの。まっすぐじゃない私の心が、まっすぐな体との落差で歪み尽くしたの。この心と共に差し出すから。あなたの意思で差し出すだけだけれど。優しい毛の感触は、あなたの神経に少しでも届くのであれば、身を削っても構わない。使い捨てでも構わない。

 

↓答え

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

歯ブラシ

 

 

沈黙の幽なる群。「大衆」___想念を宿さぬ器とは。

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内奥を欠きし人々の貌(かお)は、虚空の裂け目に過ぎぬ。

 

されどその虚無は無垢ではない。偽装された欺瞞、飽食した無意志の鞘(さや)であり、光を奪われた魂の幽閉である。

 

思考を放棄したのではない。思考の奔流に抗えぬ愚かさを知りながら、敢えて静寂の皮膜を纏い、思索の深淵から逃避する。

それは、「熟慮しない自由」という甘美な嘘であり、虚飾に塗れた怠惰な抵抗である。


彼らの感受性なるは凍結しているのではなく、感情の潜行を拒絶する自己防衛の城壁である。

痛みも歓喜も、彼らの内奥を揺さぶることはなく、ただ反響しない虚音として沈黙に還るのみ。


愚昧なる理において、言葉とは反芻するべき真実ではなく、社会的同調圧力の装置に過ぎない。

意味の実体は消え失せ、残るは無味乾燥な韻律と模倣の形骸。

 

彼らは言葉を発する。されどそれは、言葉と呼ぶにはあまりに空ろである。

語彙と構文の骸を操りながら、彼らは、その背後に潜む「意味への応答責任」から、巧みに、あるいは無垢なる無自覚によって退き去る。

ゆえに、彼らの口より放たれる語句は、魂の顕れではなく、己を喪した残響にすぎぬ。

 

真理への問いはつねに忌避され、かわりて、場の理を弁(わきま)え、迎合に勤しむことこそ、浮世における至高の作法とされる。


かくして、「自己の不在」は巧妙な仮面へと昇華し、無謬なる「忖度の美徳」として讃えられる。されどそれは、もはや善意の片鱗さえ携えぬ、倫理の廃墟である。


彼らの言の葉は、他者の期待と反応に依存するため、何者にも染まらず、何者も染めない。

その無彩色の反響は、周囲の波紋をただ撫でるに過ぎず、彼らの心象は、個別の精神から切断された、無味乾燥な風景の反射に過ぎない。

 

語ることで沈黙するという逆説の裡において、彼らは言葉の外皮を纏いつつ、もっとも深奥なる言霊の核から遠ざかってゆく。

言葉を信じぬ者の饒舌は、沈黙の静寂すら穿つ刃となり、言葉を愛さぬ者の黙止は、誠実の貌を借りた、冷ややかなる偽善の結晶となる。

 

胸中の欠如とは、単なる空洞ではなく、空洞の存在すらも忘却された悪夢の深淵である。そこには、魂の残響も記憶も存在せず、ただ抹消された自我の亡霊が彷徨うのみ。


彼らは破壊も創造も為さず、ただ存在の輪郭を溶かし、無為の祝祭に沈む。

しかし、その沈黙は虚無の黙示録であり、最も深い形の暴力である。魂の欠如は、世界への最も冷酷な裏切りである。

 

貌(かたち)のみに生くるものとは、生の呪縛から解き放たれた死者のごとく、喪失の微笑を浮かべて歩む者たちである。

その薄笑いの奥底には、感覚なき恩寵の冷酷な輝きが凍てついている。

抉り出す、紙面の神性。やがて自尊を呑み込む者のルサンチマン

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ドストエフスキー、それは若年の私にとって全身で打ち震えんほどの、嫌悪の対象であった。

 

それは、事物を眺める五感に染み渡る、涙を堪えての大袈裟な自己肯定。

紙面にわたって通奏する自己愛の肌触り。

極めつけは、「神に捧げる」などという拡張自我のエクトプラズム。

 

このドス黒い激情が、ルサンチマン――嫉妬と憎悪――から発すると認めざるを得ない、その瞬間の戦慄。

 

人間は、相手を軽視している限り、決して怨むことはない。

私の複雑さに比べれば、天才たちの単純さなど、いったい何になるだろう?

刃で斬る、品行の理。やがて善意思を貫く「業」___『道徳的マゾヒズム』の発露。

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倫理に殉ずる者が、己をも灼く焔として言葉を放つとき、それが誹謗中傷と映るなら──その逆説は、凡庸な精神には計り知れぬ謎であろう。

 

しかるに、それは彼が不誠実だからでは断じてない。むしろその逆であり、この世において、己の正義にこれほど純粋で、これほど美しく愚かで、これほど破滅的に忠実な存在は他にあるまい。


彼にとって、他者の不得は「見逃す」という行為の対象にさえなりえない。それは単なる選択肢ではなく、意識の底より不可能として排除されているのだ。彼らの精神構造においては、「衝突をまぬがれた沈黙」こそが最も深い罪悪であり、赦しは美徳ではなく逃避であり、無関心は堕落そのものである。

 

されど世には、保護色に身を染め、善き市民の仮面を貼りつけた者どもが、安全で、無害で、無難であることを「善」と思い込み、毒にも薬にもならぬ言葉を垂れ流しては、互いの「鈍麻」を讃え合っている。

 

彼らにとって、誠実とは礼儀を弁えることに過ぎず、真実とは「場を濁さぬ範囲でのみ」語られるべき装飾にすぎない。

 

愛なき優しさが溢れ、怒りなき道徳が蔓延し、空虚な語彙だけが奇麗事として増殖してゆく。ああ、何ひとつ賭けることなく、何者も傷つけぬことを誇る者たちよ。その無謬の微笑こそ、最も深く他者の心を切り刻む“倫理なき沈黙”ではないか。

 

されど、世界は道徳の清浄を保持するにはあまりにも穢れており、正しさは滑稽にすり減らされ、忠告は蔑まれ、怒りは戯れとして嘲られる。こうして、正義と現実とのあいだに生じた深淵は、次第に彼の精神を蝕み、その心奥には、義憤と挫折と哀惜と、ほとんど名状しがたい毒性を湛えた、沈黙する火山のような激情が蓄積されてゆく。

 

それなるは、善意の残滓と、破壊の欲動とが、ねじれ合い、背中合わせに存在する倫理の歪曲であり、その悲しみは怒りの形をとって結晶化し、ついには、言語という鋭利な刃として現出する。

 

それは快の刃ではなく、「己をも斬り裂く倫理の凶器」であり、正義が届かぬことへの絶望に濡れ、自罰という美学を帯びた破壊的な叫びである。


あの誹謗に見紛う、悲しき発露の間際____彼は、ひと呼吸の逡巡を持つ。その迷いは懺悔ではない。それは「正義が届かぬなら、いっそ砕いてしまえ」という一種の諦念を孕んだ悲劇的潔癖である。

 

彼の指先が震え、押された送信の一打において、人間の持ちうるあらゆる背律的統合(パラドキシカル)と、すべての真摯さが凝縮される。

 

無論、人々は、その行為を下劣な暴言と断じ、人格の汚点として記録する。誰も、そこにある孤高の苦悶や、正義の断末魔を見ようとはしない。


そのうえ、さらに残酷な真実は、誠実を超えた者がその心、痛ましめられ、無関心な者が賞賛されるという世俗の構造そのものである。見て見ぬふりをし、波風を立てず、善き市民という仮面を平然と被りつづける者たちは、道徳的責任からも、良心の葛藤・闘争からも自由である。

彼らは、品行方正という世間の色調に胡座をかき、倫理という戦場に立つことすらない。


その欺瞞は、幼き倫理を育むはずの場__「学校」にすら、平然と浸透している。教科書に記される道徳とは、誰にも刺さらぬように、あらかじめ毒抜きされた「清潔な善意」の見本であり、絶えず人を腐らせる「善意の嘘」を、あたかも美徳のように肯定・流布する遠隔洗脳メディアである。それに抗う者を「未熟」と嘲り、従順なる者を「成熟」と賞賛する教壇。すなわち、義務教育という制度そのものが、すでに偽善の温床となっている。

 

真理に根差した道徳とは、血に塗れ、矛盾に満ち、美しく破綻したものであろう。

愛と怒りが同根であり、赦しと破壊が一体であり、優しさが凶器と化すような、可笑しみすら漂うほどの危険な高貴さこそが、真の倫理というべきものではないか。

 

誠実というものは、それが真摯であればあるほど、社会という鈍重なる機構の中では、もはや病理としてしか位置づけられぬ。

やがて、その烈しき倫理は、狂気の外套を無理やりに纏わされ、正しき者ほど深い孤独の淵に沈められるのだ。

 

だがそれこそが、現代という舞台における倫理の悲劇であり、誠実という名の精神が、この時代において果たすべき、最後の腹切り——それは、救済ではなく、沈黙への献身であり、涅槃にいたる倫理のマゾヒズムに他ならない。

 

かつて、大哲学者バタイユは告げた──

 

「もっとも聖なるものは、もっとも穢れた場所に宿る」。

 

倫理もまた、崩壊の淵においてのみ、その聖性を帯びるものだ。

 

SEKIROの詩。『破戒僧』vs『狼』

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竜胤の雫。
沛然たる血の雨が、匂い立つ獣の眠れない夜を誘う。すべての膨れ足は一途な嘘から始まり、うねり狂う波状攻撃となった。戟叉の一撃。物悲しい絹を纏う首の無い白衣の聖像よ。プラーナの苗床にへばりつく死神が俺に授けた。科学が実益をもたらせども、背面に聳える大脳の形而上に成り立つ。硝子に覆われた桃色の空。いくつも連なる奇態の鈍器が、未熟な空にまっすぐ彩りを与えた。交錯する夜叉戮の夢。円の屋根を背負った愛の館が、ますます小さくなっていく。自空間が拡大するほど、捻れる信念。死を凝視する覚悟。生きるべき時を生き抜く。

 

 

緩慢なる自殺。『死と生』の反復横跳び。

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死体が皮を研いで歩いている。だが上から下睨め。もともと殺し殺された自我なのだから。緩慢なる飛び降り自殺にすら、長くて深い希望があるのだから。死は絶え間ない衝突となる。劣等感を拘泥するものは、雁字搦めの牢獄だ。良心とは何か。高貴な魂とは。激しく荒れ狂う二股の槍よ。創造と破壊を反復する死神が。首のないimagoよ。暴力と復讐の神。水に乾いた大地が胎盤で雄たけびを上げる。思索など自動現象に過ぎない。二分化法に体形に固着する大蛇。造られた音楽を白紙に留められない。ただそこに自然発生のポエジーが残留している。写し身の上で腐りかけが跨る。Deep Blue。白衣の彩る桜。乗り越えられなければならない小宇宙に。青白き災害か。腹黒い大蛇が。創造的能力の円熟した正直者が。脅威を隠し持った正直者が。矮小になりうる複雑性が毒素になっていたのだ。矮小性は打ちひしがれている。言葉とはすわなち、咲き誇る破壊だ。

「光」と「闇」。打ち上げ花火と『生命』

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不知が群がり未知と化す。

 

犯す徒花は、犯される空(くう)とならん。

爆ぜる恋歌、、静謐たる藍色。

 

赦す視点と交錯する彩。

夜弦の月と災厄。

 

絶えず駆動する精神。

 

霞がかった文字盤に紙背の威光。

 

臨終(いまわ)の際の雄叫び。

同情する夢。。シュプレヒコールの恵み。

 

めぐる慈雨は、分裂する正体。

沈みゆく情念の報せに。

 

拡散せよ。。右回りの脳汁。

 

空白の趣きは、ファタモルガーナの応酬に。

 

飛び跳ねる小宇宙。

 

猛り狂う亡者の断末魔。寄りかかる禁域に。

 

 

不滅の記憶!?収斂するゲシュタルトの考察

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捏造する記憶。

爛れつづける虚偽。

 

根こそぎ掻っさらえ。

 

姿形とは、捉えようのないものだ。

失われる者どもよ。輪郭を取り戻せ。

 

打たれてなおも、朽ちぬ牙。

 

あたり構わずの咆哮。

まばゆき常闇を喰らえ。烈火に震えろ。

 

浮世などは所詮、盲点の寄り合わせ。

 

おびただしい青写真よ。

過ぎゆく絶佳の情動を。。

 

病める首脳に豊潤なる記憶を。

現象の存在は、気まぐれなる"神の玉突き"。

 

根源の化身よ。うるおいを蓄えよ。

たましいの逆説を蹂躙するのだ。